
第1回パシフィック・リム・ボウルが開催されたのが37年前の1988年。それからおよそ2年毎に日米の相互訪問が行われ、親善試合のみならず、心と心がつながる交流が脈々と継続し、深い絆が育まれてまいりました。今年7月、関西高校選抜チームであるPRB JAPANは、オレゴンの地に赴き、オレゴンの街の方々、アッシュランド高校やフェニックス高校の選手の皆さんたちと心豊かな交流の機会を持ちます。非常に楽しみです。この尊い交流のきっかけを作ってくださり、ずっと応援くださった古川 明さん、崎 弘明先生の遺志を心に留め、おふたりのご厚誼に深く感謝しながら、私たち実行委員・コーチングスタッフも、最善の力を尽くしていく所存です。
選抜された47名の高校生は、ホームステイを通じてアメリカ文化を体感し、これまでに見たことのない遥かな大自然と触れ合い、本場アメリカの地でフットボールの練習や試合をするなどの、これまで味わうことのなかった素晴らしい体験を心待ちにしています。現地高校生やホストファミリー、日本人会の方々、近隣住民の方々との交流は、とても心温まります。特に、緑豊かな公園で開催される平和集会では、将来を担う日米の高校生たちがお互いに語り合い、平和を誓い合い、共に祈ります。とても貴重な体験となります。
高校生には無限の可能性があり、磨けば磨くほど光り輝く魂を、みんなが持っています。「今の子供は…、現代の若者は…」という、子供たち、若者たちを揶揄する言葉を聞くことがあります。「今の子供たちは昔と変わった。」と言う人もいます。しかし、子供の本質は、昔も今も何ら変わっていません。20年前、50年前、100年前。江戸時代、古代エジプト時代、何ら変わっていません。「頑張りたい。」「協力したい。」「人の役に立ちたい。」「成長したい。」…という心を必ず持っています。大きく変わったのは世の中。子供たちは、大人のエゴに振り回されている。私たちの周りには、アメリカンフットボールに一生懸命取り組み、アメリカンフットボールを通じて成長していく高校生が大勢います。
パシフィック・リム・ボウルを体験することによって、高校生たちは大きく成長します。自分自身だけでなく、周囲にも良い影響を与える発信者になります。このパシフィック・リム・ボウルにつきまして、更なるご理解をいただけますと幸いです。
今回のパシフィック・リム・ボウルにおける、アメリカ遠征に対しまして、様々な方面からご協賛・ご寄付等をいただき、激励のお言葉やご支援・ご協力をいただいておりますこと、心から感謝申し上げます。高校生たちが、より素晴らしい経験ができ、より一層心豊かな成長ができるように努めてまいります。引き続き、パシフィック・リム・ボウルをよろしくお願い申し上げます。
関西高等学校アメリカンフットボール連盟
理事長 櫻間 敏夫

今夏6年ぶりに、日本チームがアメリカオレゴン州アッシュランドを訪問致します。
アッシュランドはアメリカ北西部にあるオレゴン州南部にあり、約20kmも南へ行けばそこはカリフォルニア州となります。標高約500mを超える高地にあり、夏でも非常に過ごしやすい避暑地の趣がある街といえます。
今から40年ほど前、当時南オレゴン州立大学(現南オレゴン大学)には日本の大学生で最も活躍した選手に贈られる名誉ある賞の名前になっているチャック・ミルズさんがおられました。チャックさんのとりなしもあり関西学院大学FIGHTERSがアッシュランドの地を訪れたのです。その際一緒に彼の地へ渡ったのが日本におけるアメリカンフットボールの普及・発展に人生をささげられた古川 明氏・日本における高校フットボールの発展を支え続けられた崎 弘明先生です。お二人が現地アッシュランド高校のジム・ネーゲルヘッドコーチと話し合い、日米の枠を超えフットボールを通じた交流を深めようという志で行われたプログラムがPRBとなりました。若者たちにアメリカンフットボールを通して競い合い、あわせて海を隔てた両国の文化に触れ、豊かな国際的な感性を育んでほしい、という崇高な理念のもとプログラムが継続されています。
多くの日本の高校生はアメリカのチームと対戦する機会をほとんど持たず、サイズ・スピードとも上回る相手と試合をすることに、期待と不安の気持ちでいっぱいです。アッシュランドの高校生は交流時はやさしいのですが、試合になると母校の名誉をかけて必死に挑んできます。日本チームも自分たちの力を信じて一致団結し力の限り戦います。試合の結果こそ時々によって変わりますが、試合後は互いの健闘を心より称え合うことになります。
そして試合と並び、このプログラムの重要なことは、ホームステイをはじめとする、地元の方々との交流です。どっぷりとアメリカの家庭・地域に入り込み、アメリカの文化を味わうことになります。毎回日本チームがアッシュランドを離れる際、ホストファミリーの方々が涙を流しながら、「また帰って来いよ!」と声をかける姿は感動的です。
今年もこのような素晴らしいプログラムが行えることに感謝しています。皆様方にもご支援・ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
2025年度遠征 ヘッドコーチ
中尾 昌治(関西学院高等部)

このボウルゲームのすべての始まりは、1986年 昭和61年8月の米国オレゴン州アッシュランド高の練習見学に訪れた時でした。関西協会専務理事、古川 明と同行の完済高校連盟の崎 弘明先生が当時のアッシュランド高ヘッドコーチ ジム・ネーゲル氏に会い、練習見学の許可をいただきました。この時、ネーゲル氏からアッシュランド高の日本遠征やアメフト日米交流戦の打診がありました。私は若き日に米国コロラド州のデンバー大学に留学し、30歳代の終わりまで米国系の船会社に勤務していました。米国の方々から打診に対しては「日本に帰ってからお返事します。」は自分の経験からも通用しないと思い、交流の開始を受諾しました。高校連盟の決定事項を関西協会の専務理事が米国で行った越権行為を、後日、高校連盟の会議で本承認していただいた事を今もありがたく思っています。
2019年5月12日
西日本アメリカンフットボール協会
副会長 古川 明(2023年 没)